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2023-03-25

ブロガーこそ見出しの著作権を主張すべきだ

「Yahoo!ニュース:見出しに著作権認めず=ネット引用めぐり読売敗訴-東京地裁」という判決について、ネット上ではおおむね好意的に、「これで見出しが自由に使えて嬉しい」というような論調で語られていますが、私はそうは思いません。私の意見は次の2点です。

  1. 見出しにも著作権はある。いかに短かろうが、事実の伝達に過ぎなかろうが、創作物である。
  2. 元々、見出しを引用するのは自由に行って構わない。今回の行為は引用ではなくコピーだ。

よく「見出しに著作権があったら、自由に引用できなくなる」と言われますが、それは誤解です。著作権があっても、正しい引用は自由に行えます。

今回、デジタルアライアンスが行ったのは引用ではなく、コピーです。見出しをただ羅列しただけなのです。もし、仮にデジタルアライアンスが見出しを羅列するだけでなく、「この見出しに注目!」とか「今日の重大ニュース」などと独自の価値観を付加していれば、それは引用であったかも知れませんが、彼らはただコピーして、ライントピックスというツールに流し込んだだけなのです。

「ブロガーは歓迎派だ」のような風潮も危険です。あなたのブログで同じことをされたら、どうでしょう。多くのブロガーは見出しを”考えて”います。試しに同じトピックスを扱ったブログをMyblogなどで検索してみて下さい。千差万別、皆さん色々工夫しています。それをひとくくりに、表現が平凡だとか、短いなどと言われてはたまりません。

「歓迎派」の記事はたくさんあるので、ここでは懐疑派、反対派(と私が勝手に見た)ブログから少し引用します。

「見出しに著作権認めず=ネット引用めぐり読売敗訴-東京地裁」
一言とはいえ、想像性の産物です。とくに東スポ。もはやアートの域。
そうなんです。見出しによって記事が読まれる、読まれないという事実をもっと重視すべきです。新聞社や雑誌社には「見出しを付ける仕事」があるのですよ。彼らの仕事を、あたかも記事本文を入れたら、ポンと見出しが出てくる機械作業みたいに扱うのはおかしいです。
「ズゴックNO.1:著作権の範囲」
もひとつ、ネット上でと判決で言ってますが、ここも気になります。オンラインメディアの著作権を訴える力が激減しますでしょ。これでは。
そうなんです。ネットで配布したから著作権は主張できないみたいな論調は危険です。それは自由とは言いません。やったもん勝ちの無法地帯になってしまいます。
「TRIVIAL TECHNOLOGIES」
でも実際は,見出しにこそいろいろなノウハウとか努力とかがこめられているんだと思いますがねえ。一方,ニュースはみてもらってナンボなので,メディアとしては,呼び水となる見出しは積極的に配信すべきではないかとは思いますが。
そうなんです。短いから誰が付けても同じだと言うならば、記事に限らず、「18文字以下は著作物とは認めない」とすればいいじゃないですか。「ニュースはみてもらってナンボ」についても、見出しの権利を確保できるからこそ、配信できる安心感になるはずなのです。またそれは制作者たるメディア側の営業権利であって、他人が勝手に商売にしていいことではないはずです。

参考記事:
「ネット記事の見出しに著作権なし」読売新聞が敗訴 - asahi.com : 社会
HP見出しに著作権なし 東京地裁判決、読売敗訴 (共同通信) - goo ニュース

(マジなエントリーを続けると、熱くなっちゃうなぁ。イヤほんと、汗かいてきた。)

(ちなみに、上記のブログにはトラックバックしてません。マルチトラックバックになっちゃうんで。)

02:01 午後 in Weblogs | Permalink | Translation powered by SYSTRAN

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ブロガーこそ見出しの著作権を主張すべきだ:Ideal Break 1.見出しにも著作権はある。いかに短かろうが、事実の伝達に過ぎなかろうが、創作物である。 2.元々、見出しを引用するのは自由... [続きを読む]

日時 2023-03-26 05:36 午前

コメント

× フロガーこそ…
○ ブロガーこそ…

Posted by: 栗 at 2023-03-25 03:19 午後

あ、間違えた。なおしました。
ありがとうございます。

いやあ、期せずして「独創的な見出し」になっちゃいましたね。やっぱ、熱くなるとダメだな。エントリーの順番も変だし。なんだこりゃ?

Posted by: IdealBreak at 2023-03-25 03:30 午後

事実の伝達も著作権の対象になるのであれば、
「酸素と水素が化合すると、水ができる。」
という文章にも著作権が発生してしまいますが・・・

また、ネット上云々というのは、リンク先コンテンツの商用利用についてであって、著作権の問題とは違うんじゃないでしょうか。

さらに、「ブロガーこそ見出しの著作権を主張すべきだ」というタイトルに著作権が発生すると、このエントリーを見て共感した人が「ブロガーこそ見出しの著作権を主張すべきだ」という文章を書くことに、大きな制約が付いてしまうんじゃないでしょうか。

著作権のコンセプトを表すために良く使われるフレーズとして
「著作権は『額に汗』を保護するものではない」
というものがあります。
つまり、どんなに苦労して作ったものであっても、どんなに価値のあるものであっても、創作性がなければ著作権の対象にはならないってことです。

Posted by: kata at 2023-03-25 04:50 午後

事実の伝達なら誰がかいても同じかというと、そうでないことはわかっているはずです。それでも、見出しには創造性がないと言われるのは、そう受け止められる法律があるせいだと思うのです。

一方で、同じく短くても、ただ情景を描写しただけでも俳句は著作物です。私が適当に絵の具を塗りたくっても、絵画は著作物です。これもそう法律が決めたからです。

「酸素と水素が化合すると、水ができる。」は著作物でないと言う論理であっても「酸素一 水素二化合 水になり」と俳句風にすればそれは著作物です。
(この例がおかしいのは自分でもわかってますけど…)

見出しに著作権を認めた上にこそ、正しい引用は可能になります。著作権がなければ「何でもOK」になってしまいます。

Posted by: IdealBreak at 2023-03-25 05:32 午後

丁寧なご返答ありがとうございます。
俳句の例ですが、無機的な化学反応の割合を、日本で親しまれている5-7-5の形式にする、という点で創造性があるので、もちろん著作物だと思います。
同様に、タイトルにも工夫がなされているものについては、やはり創造性が認められ、著作物とされることもありうると思います。
今回の件は、タイトル=著作物ではない、という判断であり、タイトル≠著作物である、という判断ではないと思っていました。(違っていたらごめんなさい)

また、引用は、
1)引用の目的上正当な範囲内であること→引用の必然性があること
2)引用部分が従で、自分の著作物が主という主従関係がある
3)かぎ括弧をつけるなどして引用部分を明示する
4)著作者名・題名等を明らかにするなど出所を明示する
という要件を満たさないと、適法になりません。
新聞のタイトルを「引用」しなければならないとすると、相当面倒なことになるような気がします。

なお、俳句についてですが、全て著作物になるわけではないんだと思っていました。(事実の伝達が偶然5-7-5になった場合など)この点も、勘違いしていたらごめんなさい。

それでは。

Posted by: kata at 2023-03-26 09:30 午前

現在の法律では見出しに著作権を主張しにくい(実質できない)ことは理解しています。それでも言いたいのは、見出し=創作物であるということです。

理詰めに疲れたので、現実逃避で妙案を考えました。こんなのはどうでしょう。
---
注意書き:
ここに掲載している「見出し」の様な文はすべて「自由律俳句」です。見出しではありません。文学作品としての著作権を主張します。
---
とイチカバチカ書いてみる。

Posted by: IdealBreak at 2023-03-29 10:52 午前

その主張が通ったとして、一体どういう意味があるのでしょう。。。。

Posted by: KT at 2023-03-30 03:04 午前

確かに、当ブログのようにどーでもいいサイトに権利があろうとなかろうと、だれも見向きもしませんが…。

非常に影響力のあるサイトの見出しを丸ごとコピーして、リストするだけでも一定の集客力になります(デジタルアライアンスがやったこと)。そういったコピーに対しては権利を主張して止めさせることができるでしょう。

Posted by: IdealBreak at 2023-03-30 12:28 午後

本来見出しのものをわざわざ俳句だと主張して、
本来の意図を捻じ曲げて著作権を利用しようとすることで得られる、
今後の著作権関係の様々な捻じ曲げた利用による人々の不利益を考えると、
そういう方法で著作権を無理矢理主張しようなんて思えないです。
むしろリスト化されてリンクされることに、
著作者にとって一体どれだけの不利益があるのかをハッキリさせて、
さらにそれが公共の福祉に対してどれだけ利益があるかも考慮した後、
著作権で守られる必要があると感じた時に初めて、
見出しを著作権で守るべきだという主張をしていくべきなんじゃないでしょうか。

Posted by: KT at 2023-03-31 02:09 午前

俳句と主張してみるというのは一種の問題提起のつもりで、実際的だとは思ってません。同じく短くても、事実の描写であっても俳句と主張しさえすれば著作権で守られる。では著作権の発生条件とは何なのだろう?という疑問です。

同様に、適当に絵の具を塗りたくっても絵画は著作権で守られるとすれば、まさに「著作権≠努力」「著作権≠創造性」なわけですが、では著作物ってなんなの?という疑問もあります。

結局、著作権とは「そう法律が定めたもの」以上ではないのだ、と了解しています。

まさに読売新聞は「著作権で守られる必要があると感じた」のでそう主張したのだと思います。しかしながら、著作権法の改正をまたずにコピーが横行し、ビジネスを侵害されるのであれば、「俳句論」を持ち出すのも、一種の防衛手段&問題提起としてはおもしろいのではないかと。まあ、そういうアイデアもあるかなと思った次第です。

長くなってしまいましたが、実際的な解決策も一応(勝手に)考えています。それは”文字数で制限する”です。たとえば「15文字以下の文章は形態の如何に関わらず著作権が発生しない」などと明文化する。これならわかりやすいです(*)。

(*)コピーライター関係筋から意見も出そうです。

Posted by: IdealBreak at 2023-03-31 10:39 午前

長さの問題は新聞記事との差別化のために使われたのではないかと、
一応トラックバックさせていただいた記事のほうで書いたので、
とりあえずそちらを見ていただけたら嬉しいです。
で、結局見出しの持ちうるものってのは「題号」のレベルだと思うわけで、
「著作権≠努力」はそもそも著作権の意味合い的にこれは正しいと思います。
「著作権≠創造性」にかんしては、そもそも「新聞の見出し」に創造性があるかどうかという問題を
しっかりと見極めないと断定しがたいと思います。
そこらへんもこちら側の考察としてトラックバックさせていただいた記事を見ていただけると嬉しいです。

Posted by: KT at 2023-03-31 12:53 午後

「見出し」「著作権」とグーグルで検索して、このページにたどり着きました。

興味深い議論が交わされていますが、「著作権法の目的」という観点から考えると、また違った考えができそうです。

そもそも、著作権法の目的とは、法律どおりに書けば、
“この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。”
※下のURLから引っ張ってきました。

あやふやな知識で申し訳ないですが、米国発祥の著作権法では、「利益の保護」という目的に重点がおかれ、ヨーロッパでは「文化の発展」という目的に重点がおかれているということを聞いたことがあります。日本は恐らくヨーロッパの著作権法を参考にしていたような…。

ある事実に関する記事の見出しを著作権法で保護するとすれば、その記事について言及することを大幅に制限することになるのは当たり前で、言論、出版その他の分野の「文化の発展」を大幅に制限することになりかねないでしょうね。つまり、著作権法の目的にそぐわない。今回の裁定は、正当かつ妥当な判断だと思います。

ちなみに、同サイト曰く、“映画のキャッチコピーが著作権法で守られていない”そうですが、より創造性の乏しいと思われる記事の見出しに著作物性を認めることは、裁判所としても出来ないでしょう。

Posted by: 初めての人 at 2022-06-01 07:22 午後

初めての人さん、こんにちは。

引用された著作権法の意義によれば、今回のデジタルアライアンスの件では「公正な利用に留意し」ていませんし、「著作者等の権利の保護を図」っていませんし、なによりただ乗り商売では「文化の発展に寄与」することもありません。

仮に裁判所が見出しに著作権があると判断しても、もともと適切な引用の範囲内であれば自由な利用は可能な訳ですから、「『文化の発展』を大幅に制限」することにはならないでしょう。今回の判決は「見出しなんて著作物に値しない。だから、どうコピーしようが勝手。改変しても、何しても文句はいえない」という悪しき口実を一部の業者に与えたにすぎず、むしろ文化の発展に負の効果を与えるのではないかとさえ思えます。

Posted by: Ideal Break at 2022-06-02 10:31 午前

初めての人さん、こんにちは。

引用された著作権法の意義によれば、今回のデジタルアライアンスの件では「公正な利用に留意し」ていませんし、「著作者等の権利の保護を図」っていませんし、なによりただ乗り商売では「文化の発展に寄与」することもありません。

仮に裁判所が見出しに著作権があると判断しても、もともと適切な引用の範囲内であれば自由な利用は可能な訳ですから、「『文化の発展』を大幅に制限」することにはならないでしょう。今回の判決は「見出しなんて著作物に値しない。だから、どうコピーしようが勝手。改変しても、何しても文句はいえない」という悪しき口実を一部の業者に与えたにすぎず、むしろ文化の発展に負の効果を与えるのではないかとさえ思えます。

Posted by: Ideal Break at 2022-06-02 10:32 午前

コメントをどうぞ。お名前だけで結構です。